箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

180909 人恋しさで秋刀魚を焼きたい

 ブログがすっかり告知置き場になってしまっていたので日記をつける。

 8月頃から始めた早寝早起きが板に付いてきた。

 夢は悪夢しか見ないせいで*1二度寝ができなくなった。悪夢しか見ない場合、二度寝で見る夢も十割悪夢。最初のがそうでない場合はそうでない率がゼロではないが高い。したがって、二度寝がひとつも楽しくなくなってしまった。学生時代は酷いときは9時間以上寝ていたので、3時間+3時間で6時間に満たない今は当時とひどく切り離されてしまった感覚に苛まされている。平日の穴を埋めるために週末の稼働率が下がり、生活満足度も下がり、と悪循環に嵌まっている。これまでよりいっそうハッピーなウィークエンドを目指している。

 悪夢にも嬉しいことがある。早起きせざるをえなくなったのだ。いつかのエントリで書いた通りに資格の勉強をしている。朝は思考の雑味がまったくなく、勉強が恐ろしくはかどる。Scrapboxにテキストや条文を写経していると、自分の未来に全能感を抱くことができる。悪夢も悪いばかりだけじゃない。どのみち、シャワーを浴びれば流れる泥だ。

 夜には筋トレを始めた。オキニのスーツのズボンとA.P.C.ジーンズのボタンが締まってくれなくなったから。人体の筋肉量を考えるなら脚と胸筋と背筋を鍛えるのが手っ取り早いのだけれど、目的を満たすには腹筋と復斜筋を鍛えるのが近道だろう。腹筋は相対的には筋肉も贅肉も少ないからすぐに効果がわかりやすくていい。筋トレには筋肉量とわかりやすさの二軸を持っておくといいらしい。腕立て、プランク、サイドプランクニートゥエルボーをやっている。

 飽きもせずに小説を書いている。『七尾さんのこと【秋】』のやつ。シーン数ベースではペースは順調に思われる。難所を後回しにしているから順調以上で進んでくれないと困るのだけれど、どうもそこまで小説が上手いわけではないらしい。今回は事前の参考資料を多めに突っ込み、建築筋とファンタジー筋をバルクアップした。トレーニングの成果は未来の私が証明してくれるはずだ。今のところ語彙ベースでしか効果が出ていない。ビジョンはまだ来ない。ビジョン来てくれ音頭を毎夜はだかで踊っている。

 日照時間が短くなりつつあり、人恋しさがいや増した。人恋しさは好き。でも、人恋しくなってる自分は好きじゃない。

 

 みんなで人恋しさをベランダに持ち寄って七輪で秋刀魚を焼きたい。

 なにもかも食べてしまいたい。

180318 小説を書きました。

 小説を書きました。

 彼女達に捧げます。


 

 

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171030 さよなら私のソーシャルゲーム

 ソシャゲが終わった。
 GREE版のアイドルマスターミリオンライブ!が年末をもって更新を停止すると本日発表された。
 はっきり言ってしまうが、Twitterへの投稿から察せられるように、ちょうど1年前からゲームをプレイしていなかったから、騒ぎもどこか遠くの出来事に思える。知らない設定もきっと開陳されたんだろうし、あれだけ熱心に埋めていた音楽ライブラリに歯抜けが増えたことだけは確かだ。ソーシャルゲームの更新停止が決まったタイムラインは、沈鬱になる人や、思い出話に花を咲かせる人に溢れていて、葬儀が残された者のための儀式であることと似ている。その意味では私はもう去ってしまった人間なのかもしれない。
 たびたび書いているように、私はアニマスの映画から入って半年以上ゲームをしないまま(カードの画像と台詞はwikiで調べてCDだけ聴いて)二次創作をやっていたから、ゲームのゲームそのものへの思い入れが薄い。ホームだったとは言えない。それでもゲームを始めたのが2014年の晩秋、触らなくなったのが2016年の同時期だから丸々2年は遊んでいたことになる。
 こんな機会だからミリオンライブのゲームの楽しかった思い出なんかを振り返ってみると、楽しかったのはイベントを走ったりガシャを回したりすることそれ自体より、むしろ知人らと競ってイベントを走ったりTwitterでガシャの結果に一喜一憂する様を実況したりしたことだった。あるいは、イベント最終夜のバイト帰りにランキングを確かめたらボーダーから転げ落ちていたせいで、実況する余裕もなくひたすら課金して、一息付いてTwitterに結果を貼ったり(いま見たら1176位だった(お世辞にもテキストの出来が良かったとは言い難いがいい思い出だ))。あとは月並みだけどアニバーサリーイベントかな。Skypeで通話しながらだらだらと走ったのは、あれは学生の特権でしたね。いまなら時間を金で買うだろう。
 ソーシャルゲームだった。
 ゲームを遊ばずに二次創作を始めて、いまも遊んでいないが、そういう来歴を経てわかったことがある。ソーシャルゲームは人と遊んでこそのゲームだった。同じ場で同じ対象を見ながら、同じだったり、大概はそうなのだが、違う事柄について語らう。あのゲームはイベントのたびにいちいちカードをたくさん出してくれるし、べらぼうなテキスト量もあった。いいゲームだったかどうかは議論の余地があるだろう。いいアイドルコンテンツだったかどうかは首肯しかねる。首肯してたら小説なんかやってないしね。それでも、いい場ではあった。私にとってはいいソーシャルゲームだったんだろう。
 ありがとうなんてぜってえ言ってやらないけれど、なくなるって決まるとやっぱり少し寂しいね。
 さよなら。