箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

190821 近況など

多くの趣味から手を引きつつある。

趣味は、焦がれたものたちは不可逆に私の体から蒸発し、その多くはあの本を書いたことで昇華されたのだろうけれど、あの本のことさえ今はもう遙か昔のことになってしまった(日々更新される自分史というものがあるならば、今はすでに新たなセクションに移り、一つ前のセクションはあの本の頒布で閉じられている)。

趣味らしい趣味は漫画を読むことくらいだ。

田島列島の『子供はわかってあげない』で漫画を読む楽しさを思い出して、同じく田島列島で『水は海に向かって流れる』がいまは一番熱い。

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高校一年生の男子がおじさんの住むシェアハウスで二六歳のOLと一つ屋根の下で……と、ラブコメな要素が散りばめられながらも、会話のキレは冴え渡り、サッと引いてみせられる『贈与論』なんか品が良く、そして、世界へのままならなさが地下水脈のように浸みている。

シェアハウスと高校には、高校一年生にとっては刺激的すぎるほどの多様な人物たちがいて、その誰もが、一人では運べない重荷を抱えている。

人々の人生に彼が加わることで、あるいは彼は彼らの重荷を共に抱えられるようになり、あるいは彼のせいで彼らの重荷がさらに重くなる。

重荷を持ちつ持たれつ、押しつけられたり押しつけたり、とにかく上手くいかない。

前進しているはずだったのに、駆けだしていたのは明後日の方向だったり。

そういう、ままならなさの配置が絶妙な漫画で、僕は読みながらじたばたと足を揺らしています。

今日時点で1巻(1話~9話収録)が出ている。

水は海に向かって流れる(1) (KCデラックス)

水は海に向かって流れる(1) (KCデラックス)

 

月一更新の現在の最新話が14話と、2巻の発行までにはおそらくかなりの期間が空くだろうから、1巻で気になったらマガポケでそのまま単話買いだろうか。

田島列島のデビュー作『子供はわかってあげない』は上下巻の全2巻。 

ボーイミーツガールを衒いなく描き上げている。こんなにも素直に描いてくれるんだと感動した。脇役がまた味わい深く、造形の妙、配置の妙はデビュー当時からのものだったか。

 

他の漫画については、今さらながら途中で積んでた『BEASTARS』を改めて読み直して最新刊まで追いついた。足の裏に刻まれた呪いの解き方が見事。

桜井のりおの『僕の心のヤバいやつ』をヘラヘラと読んでいる。同じく桜井のりおで『ロロッロ』にも手を伸ばし、テンションの落差に目眩を覚えた。

ヤンマガを毎週全部読んでる。『ザ・ファブル』はいよいよ大詰めか。遂に佐藤の殺しの禁が解かれることに興奮しつつもあり、寂しくもある。

ここ数週間は『センゴク権兵衛』が山場を迎えている。すべてを失った者が再起を賭けるのはみんな好き。

『雪女と蟹を食う』が連載開始からテンポを落とさずにロードムービーを続けているのは良い意味で予想外。人気も出ているようだから少しペースダウンして長期連載コースに入るかと思われたが、最後まで走りきってくれるだろう。

『喧嘩稼業』は四月末以来の回が七月末だかに掲載され、ついに上杉ー芝原が決着。陰側の陰剥き出しの戦いをそろそろ読みたい。具体的には、佐川弟ー関戦を早く読みたい。関が陰剥き出しの佐川弟を瞬殺してもよいし、佐川弟が関を再起不能に壊してもよい。

 

この週末は『かげきしょうじょ!!』を読むのが楽しみで、だいたいの平日は週末の漫画かお出かけかをエサにお勉強しているみたいなところがある。

そういう感じで、やっています。

1年かけてアイマス小説書いたから紹介する

1年間かけて『七尾さんたちのこと』という小説を書きました。

七尾百合子たちが主人公青春アイドル群像小説です。

1年間かけてpixivにて連載しており、このたび、同人誌即売会にて書籍版を頒布する運びとなりました。

本書は文庫サイズで360ページと大ボリュームです。

読了にはおおよそ3時間から4時間程度掛かるでしょう。

ボリュームだけで敬遠される方もいるかもしません。

しかしながら、私は一人でも多くの皆さんに『七尾さんたちのこと』を読んで頂きたいと考えています。

そのため『七尾さんたちのこと』がどのような小説なのか、3時間の小説を3分で紹介します。

ネタバレは一切ありません。

 

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アイドルを描くために死ぬほど『役に立つ』資料5選

突然ですが、『役に立つ種本って、どんな本だと思いますか?

ツイッターでクソみたいにバズるのは、いつも辞書的な本です。項目がいっぱいあって写真も絵もいっぱいで専門用語や物の名称がわかって……欲張りさん向けの本ですね。

あれはウソ。インスピレーションを刺激してくれません。百科事典でも読んでろ。

本当に役に立つのは「■■■■」のある本です。

 

では、どんな本なら『役に立つ種本になるのでしょうか?

どんな種本があればインスピレーションが湧き出てアイデア帳はいっぱいになり筆が止まらなくなり素晴らしい創作が出来上がるのでしょうか?

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190318 小説を書きました。(完)

 完結です。捧げます。

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16万字の小説を1年間で書くためにやらなかった3つのこと

1. 頭から書く

頭から書くのをやめました。

なぜなら、真っ白な原稿に向かって書き出しを悩む時間が世界で一番ムダな時間だと気付いたからです。

私は「書きたいシーン」から書き始めました。

「書きたいシーン」は人によって様々でしょう。

 

申し遅れました。

吉﨑です。サラリーマン生活のかたわら、小説を書いています。

2018年3月から2019年3月までの1年間で16万文字の長編を書きました。

それまでは3~4万文字程度の同人誌を4ヶ月で書いていました。

したがって、25%増しの速度で書いた計算になります。

1年間の試行錯誤のなかで、書き続ける日々のための原則がわかってきました。

本エントリではそのために「やらなかったこと」の紹介と解説を行います。

働きながら小説を書く方のご参考になればと思います。

 

(編注:2019年3月ごろに途中まで書かれた記事が、2020年3月に発見されました。供養のためそのまま公開します。)

(タイトルには「3つのこと」とありますが、エントリ中には「2つのこと」しか書かれていません。ご容赦ください。)

(読み直して一番役に立ったのは(エントリ最後のメモに書かれている)通称「1文字1円ルール」、高い喫茶店に入って注文して、注文金額以上の文字数を書くやつでした。) 

(せんでん:小説本『七尾さんたちのこと』を書いたときの覚え書きです。)

 

目次

1. 頭から書く(創作論)

大原則

2. プロットを立てる(創作論)

3. スキマ時間に書く(生活論)

まとめ

やりたいけどやれなかったこと

 

1. (承前)頭から書く

小説を頭から書くべきではない2つの合理的な理由があります。

1-a 思いつくシーンが冒頭に適しているとは限らない

1-b 冒頭は結末に対応していると嬉しい

 

1-a 思いつくシーンが冒頭に適しているとは限らない

冒頭で述べたとおり、真っ白な原稿に向かって書き出しを悩むのは、世界で一番ムダな時間です。

なぜなら、そもそも、冒頭に配置できるシーンは、小説全体のテーマ、テイスト、構造などを大きく規定するからです。

また同時に、それらによって、書き出しも規定されます。

したがって、書き出しは、いまその瞬間に書きたいことの外側、つまりまだ決まっていないし、その上、まだ全貌の見えない事柄に大きな制約を受けると言えます。

つまり「冒頭に書く【べき】シーン」と「いま書きたいシーン」とが一致するとは限らない(むしろ、往々にして不適切ですらある)からです。

さて、小説を書く時間の限られた私たちにとって、最も忌避すべき存在は「悩む時間」です。

仕事から疲れて帰って、机の前でウンウン悩んで、なにも出ず、そのまま力尽きて無力感に打ちひしがれたまま迎える翌朝など、考えつく限り最悪の夜です。

悩むのはなぜでしょう。決められないからです。

決められないのはなぜか。決めるべきことが自分のコントロールできる範囲の外にあるからです。

しかしながら、いま小説を書こうとしている私たちの頭のなかには、いま「書きたいシーン」があるはずです。(なぜなら、あるから書こうとしているのですから)

そこで、まず「書きたいシーン」を書いてあげましょう。

悩むのは後にしましょう。

全体に関わる事柄は、書き進めるうちに決まり、見えるようになるでしょう。

悩むのは、とにかく後にしましょう。

そのために、「書きたいシーン」から書き始めましょう。

消極的な方面から「最初に冒頭を書くべきではない理由」を述べました。

 

1-b 冒頭は結末に対応していると嬉しい

冒頭が結末に対応していると嬉しいし、結末が冒頭に対応していると嬉しい。

対称性を美しいと感じる心は誰しもに共通する心だと思いますし、日本には四季があります。

その意味では、むしろ、結末まで到達してから冒頭に手をつけるべきですらありますね。

現実的ではないように思えるかもしれません。

しかし、語りの構造を複層化させることで可能となります。

たとえば、枠物語はどうでしょうか。

枠物語(わくものがたり、英語:frame story, frame tale, frame narrative, embedded story)とは、導入部の物語を外枠として、その内側に、短い物語を埋め込んでいく入れ子構造の物語形式である。大きな物語の中に異なる短編小説などが次々と語られるこの技法で描かれた小説を「額縁小説」とも呼ぶこともある。

出典 Wikipedia「枠物語」

千夜一夜物語』などで知られる、いわゆる「入れ子」構造です。

最後を書いてから冒頭を書くには、たとえばこんな手法があるでしょう。

1. まず内側の物語、次いで内側の物語の結末を書きます。この際に内側の物語の冒頭はいったん忘れましょう。

2. 続いて、外側から内側の物語の結末を語り直し、外側の物語の結末とします。

3. 最後に、外側の物語の結末に対応した、外側の物語の冒頭を拵えます。

これだけで、結末と対応した冒頭を容易に作ってあげることができます。

副産物的に、枠物語として語り直すために、全体の構造を把握できるようになります。

4番目のステップとして、外側の物語ありきで内側の物語を再構成した後に、あらためて外側の物語、枠を外してあげるなどの手法もあります。

すなわち、外側の物語を物語の構造をとらえるための補助線として用いるということですし、補助線は使い終わったら不要ですから、消してあげてもいいわけです。

(最初に枠を作ってから、後で消す。物語の外に置くことを強調)

積極的な方面から「あとから冒頭を書くべき理由」を述べてみました。

 

以上、「頭から書く」をやらなかった理由でした。

ものの脚本術の本には、「頭から書いて、最後に頭を捨てる」みたいな富豪的な書き方が説かれていました。

ムリやんけ、とサラリーマンであるところの私は思っています。

だって、書いたの捨てたくないじゃないですか?

限りある余暇に、ない頭を捻って生み出したもの、捨てたくなくないですか?

私は働いているし、ケチですし、次のような大原則に従っていました。

 

大原則1: 書いたものは消したくない

大原則2: 余暇には限りがある

大原則3: 1日当たりの文字数には限りがある

 

大原則1は上述の通りです。(大前提2と3は後ほど)

私は小説を考えるのも書くのもトロいので、できる限り書いたものを捨てたくないと思っています。

そのためのソリューションはシンプルです。

書きたいシーンから書き、そのシーンが活きるように次へ(前へ、でもいいし、次の次へ、でもいい)その次へと組み立てていくだけです。

むろん、書けば書くだけ、後から直すコスト、リスクが高まります。

この賭けの掛け金は「書きたいシーン」(しかも既に書かれた!)ですから、賭けに勝つための最大限の努力をせざるを得ない状況に自身を追い込むことができます。

悪いことばかりではありません。

書けば書いただけ、シーンを書くための制約が可視化されるのです。

たとえば、1-aで述べた「冒頭を決めるには全体のテイストが要る」というような、そういう制約です。その制約、小説のなかの決めごとに乗っからない手はないでしょう。

あるいはたとえば、アクションを書きたくて(後先考えずに)書いたなら、アクションを起こすための理由は、書かれたものから逆算できるようになります。

逆算できなかったら、また別のシーンを書いてから考えればいいでしょう。

つまり、書けば書くほど、書くのがラクになる、ということです。

そろそろカンの良い方や、目次に目を通した方はわかってきたかもしれません。

プロットを立てずに小説を書きましょう。

 

2. プロットを立てる

プロット、ありえんむずかしくないですか?

だって、最初から最後まで考えるの異常に時間がかかるし、最悪なことに、本文を書いてるうちにキャラクターが勝手に動いて、せっかくのプロットが瓦解するじゃないですか。

悪夢的な「プロットを最初から最後まで考える→本文をちびちび書く→プロットから外れていく→最初に戻る……」のループを断ち切りましょう。

では、なぜプロットを立て、その通りに書くのがこれほどまでに難しいのでしょうか。

この2点に尽きるでしょう。

2-a 書くのが遅い

2-b 考えるのが速い

 

2-a 書くのが遅い

もしも、考えたプロットが一瞬で本文として固定されたならば、「書いてるうちにプロットから外れる」なんて事態を迎えることは論理的にはありえないわけです。

ロジカルに考えると、プロットから外れるのは本文を書くのが遅いからなのです。

本文の執筆速度を上げられたなら、それほど簡単なことはありません。私が教えてほしい。

私は、書くのが遅い自分を受け入れました。

その上で、書くのが遅い自分にできる最大限の方策を考え、このエントリを書くに至っています。

「書くのが遅い」の意味するところには、実はバリエーションがあります。

「書くべきものを考えるのが遅く、書き始めるのが遅い」と「書くべきものはあるが、書くのが遅い」です。

あなたはどちらでしょうか? 

私は後者でした。

「書くべきものはあるが、書くのが遅い」の私は、書くべきものたちを、プロットの上に最初から整列させることをあきらめました。

 

書いてから都度で並べる。これは1の通り

書きながら考えるのをやめる。

 

 

・ブロック工法

2-b 考えるのが速い

2-aの裏返しですが、1シーンを書くより、1シーンを考える方が速いためにプロットが固定されないともいえます。

そして、絶対に避けなくてはならないのは「書くべきものがなく、書けない」状況です。

 

 

1シーンだけは考えてから書く。

執筆速度から1シーンの縛りの文字数を設けた。

 

書くべきもの(シーン)をひとつ書くための文字数を固定しました。

1シーン当たりの文字数は、おおよそ、1週間に書けるだけの文字数の半分とします。

したがって、理屈の上では1週間に2シーン書けることになりました。(詳細は後述します)

1シーンの文字数が決まると、全体の文字数が自然と定まります。

逆に、全体の文字数から、1シーンの文字数を求めることもありましょう。(後述する) 

1つ先、できれば2つ先をストックする。

 

まとめを書く、

 

さて、「プロットを立てない」とはいえ、無計画に書くのは不可能ですから、目安を設けましょう。

脚本の構成に関する「三幕構成」という手法があります。

三幕構成(さんまくこうせい、Three-act structure)は、脚本の構成である。三幕構成では、ストーリーは3つの (部分) に分かれる。それぞれの幕は設定 (Set-up)、対立(Confrontation)[3]解決 (Resolution) の役割を持つ[4]。3つの幕の比は1:2:1である[5]

出典: Wikipedia 「三幕構成」

要するに、ストーリーを「1:2:1」に分割するという考え方です。

物の本によると、それぞれがさらに「1:2:1」に分割されることが好ましいとありました。

「1:2:1」とは、「4分割し、真ん中2つを繋げる」を意味します。

よって、三幕構成の基本的な考え方とは「ストーリーを4のn乗に分割する」とまとめられます。

さらに言い換えます。

シーンを4のn乗だけ作りましょう。

 

シーンの文字数は全体の文字数と速度から決まる。

1シーン2,500文字

1章=4シーン=10,000文字

1部=4章=40,000文字

1冊=4部=16,000文字

1シーン2,500文字×64シーン=160,000文字

 

(書くうちに気が変わる、をやらんでええこと)

 

・プロットを立てる

書いてるうちにどうせ変わってくる

書きたいものだけを

最初から全部揃ってることない

揃えている間にどんどん増える

頭は逆算して書く

3幕構成ならハンドリングできるまで4つに割る

2番目の2番目から書くのがちょうどよかった、2-2→2-4、1-1→2-1

3幕構成は直しのときに使う考え方、最初からは無理→プロットを立てる、に繋げる

 

大原則

・(ケチ)書いたものは消したくない心理

一方で無駄なものを削る楽しさがあった

カウントし続ける、レコーディングダイエット

・時間当たりの文字数が決まっている

余暇の上限値は決まっている

・(怠け者)1日当たりの文字数が決まっている、土日で稼げない

→平均的に書き続けること、平準化する

 

結末と対の方が気持ちいいんだろうから、むしろ最後まで見えてから書くべき

じゃあどうしたか

書きたいシーンから書くべき

書きたいシーンのために書きたいシーンがあったらそこから始める

書きたいシーンがアクションではなかった、むしろそれがあったら「場が面白くなる」場を

「場が面白くなる」は、私には「ハーフパブリック/半公共」

半公共に頭を使えるか、分析がないと長編は書けない、なんらかの分析に基づいた空間で、しかも半公共がベスト

そういうシーンを考えられたときが一番気持ちよくなったし、書きたくなった

 

 

 

 

・スキマ時間に本文を書く

出先では本文は書かずにメモ帳に書いてた、散逸させない

書いたことを消すのに抵抗がいるから書かない

1円1文字ルール

イデアを文字にし続ける、本文にはしない、固定させない、揺らしておく

紙で出すことは決まっていたから、レイアウトを固定してタブレットで書いてた。

2シーン分のネタ集まったら1シーン分書くくらい

ネタが止まるとすべて止まるので、出し続ける

 

 

 

・できなかったことリスト

早起き、土日で稼ぐ、徹夜、PCでメモする

→自分がどんな書き方なら継続的に生産できるか