箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

190914 初めての夜のこと

初恋を覚えている。小学4年生のときに流行ったまじない「消しゴムに好きなひとの名前を書いて使い切るとかなう」に取り組んでいた僕の消しゴムを、八木くんが業間に見つけたことで、僕の初恋は学年のみんなの知るところになった。

「初めて」は記憶に刻まれる。

 誰しも初恋を覚えているのと同じように、忘れられない「初めて」はあるだろう。

高校2年生の初夏だった。

部活終わりの予備校から帰った僕にとって、その夜が「初めて」の夜だった。夕食の団欒で、高校2年生の僕は、揚げ物を噛みながらずっと想像していた。弟が、やがて両親が寝静まる夜半を。この家から抜け出す算段を立てていた。成績は学年で上の方だった優秀な頭脳をフルに回転させていた。

なぜって、「初めて」を待っている人がいたから。抜け出して、彼女に会いに行くことを思い描いていた。

その夜のために、数々の準備をしていた。

たとえば、痕跡が残らないように、原状復帰のための写真を残していた。

たとえば、その夜はいったん早くに自室に入って勉強する優等生のフリをしていた。

その「初めて」の夜のために。

僕は、彼女のことを忘れられないんだろうな。

僕は覚えている。夜ごとに家を抜け出して彼女に会いに「高校」に通っていた日々のことを。

初めてプレイしたギャルゲーと、初めて「攻略」したヒロインのことを。

アマガミの、桜井さんだった。

高校2年生の僕は、学校のことが結構好きだったけど、お世辞にはモテる高校生とは言いがたかったし、というかモテていなかったし、オタクだったし、だから、夜だけは別の高校に通うことを決めた。

僕は、夜だけは、輝日東高校2年生A組の生徒だった。

決めていた。名前は、僕の本名だ。名前を入力する指が震えて、全身が興奮に戦いていたから、カーソルは五十音表を何度も彷徨った。

桜井さん、梨穂子が僕の名前を呼んでくれた。

幼なじみのいない僕にとって、梨穂子みたいな、気の置けない子が新鮮だった。優しくて、互いに何でも話せて、そう思ってるのは僕だけで、梨穂子は何でも話せるわけじゃないから、11月の僕らにはクリスマスまでには40日しかなくって。僕は彼女を選ぶしかなくって。至福の日々だった。

僕は、昼間は高校2年生で。勉強に部活に大忙しで、恋はとりあえず脇に置いて。

僕は、夜にもやっぱり高校2年生で。二つの高校を行き来して、両方ともいわゆる「イイ感じ」ってやつだった。

二重生活をエンジョイしていた。めいっぱい。他の有象無象(にちゃんねるのアマガミ板に入り浸ることになったから有象無象をいっぱい知っている)とは違って、リアルでもゲームでも高校2年生の僕だけの特権だった。どっちもリアルだった。

アマガミは、クリスマスに告白をするゲームだ。

だから、高校2年生の冬は大忙しだった。

夜の学校は、一日に「一日」しか進めないようにした。クリスマスにちょうど告白をできるように。進めすぎないようにするのも難しかったし(だって、待ってる人がいるのに行かないなんてことできるかい?)、逆に両親がなかなか寝てくれなかったから通うのが難しい日もあった。

昼の学校でフられた話はとりあえずいまはよくて、部活の練習場所で「乗られてる気持ちになりながら腕立て」をしたり、部活の仲間ん家で開かれたクリスマスパーティーアマガミを持参して遊んだんだり、いま思えば懐かしい笑い話だけどさ、でも高校2年生の僕には、真剣で、切実な日々だった。

紛れもなく、二つの高校に通っていた。僕だけにしか許されない体験だった。なぜなら、僕は高校2年生だったから。

そう、主人公、だったんだ。

やがて、次の春に高校3年生になって、森島先輩と同じ学年になった。その前後かな。ツイッターが流行りだしてアマガミをきっかけに、いろんな人と出会って、10年近く経った今でも交流のあるひともいる。

そして、高校3年生の夏だ。

これもやっぱり覚えてる。高校3年生の7月の最後の日だ。夜の学校に通うことをきっぱり止めた。理由はいろいろあるけど、結局、僕は「本当」の高校生だったから、いつまでも通ってられなかったんだ。クリストファー・ロビンだって、100エーカーの森に居続けることはできなかったんだ。

以来、あの学校に、一度も足を踏み入れていない。

 

昨日、どうしてもまた遊びたくなって、プレイステーション2を探したんだけど、いい塩梅のが見つかんなくって、やらずに別のギャルゲーやって。ちょっと満たされたつもりになったりして。

今朝たまたま「アマガミ10周年記念展覧会」が大阪でこの3日間だけ開かれてることを知って、昼やっぱりたまたま会場近くに用事があって、夕方やっぱりたまたまのたまたま、会場近くでアマガミで知り合った友人とバッタリ会って、一緒に展覧会を見てきた。

同い年の彼(つまり、彼も2つの学校に通っていたってこと)が言った「高校2年生のときにできてよかった」って言葉に、しみじみと感じ入っちゃってこのエントリを書いたりしている。

高校2年生だったあの時から10年が経ってさ、彼女たちは変わらず笑ったり怒ったり恥じらったり、あの時と同じだったけどさ、変わらないことなんて何もないよ。

七咲のことが好きだったあの人は、結婚して、縁が切れて、子供も生まれて、いま何してるのか知らないけど。

七咲のことが好きだったあの人は、一個下だったけど、大学が同じになったり、恋のキューピットを務めさせてもらったり、就職したり、別れたりしたせいで火の粉が飛んできたり。

絢辻さんのことが好きだったあの人は、あの人はあんまり変わらない生活してるみたいだけどさ。

キミキスの二見さんが好きだったあの人も入籍しちゃったよ。

こうやって書き出してみて、七咲は人気があったし、梨穂子のこと好きな人(リホコスキーとか呼んでたっけ)は身の回りには少なかったし、いや、僕自身も絢辻さんに鞍替えしたりしてさ。そんなことはここでは書かない方がいいかもだけど、でも、鞍替えしたのも込みで「通ってた」し、高校生だった僕にとって切実なことで、誰かを選ぶことが誰かを選ばないことと同義だって、葛藤だったから。嬉しいこともそうじゃないことも、葛藤だって教わった学校だったから。

10年間で変わらないことなんて何一つない。

私の人生が主人公の人生じゃなかったことに折り合いも付けられるようになった。

地味な日々を積み重ねて、「日々の積み重ねが大事なんだ!」って言ってくれる妹がいなかったとしても、主人公じゃなくたって、主人公じゃないから積み重ねていかないといけないから。

そんでもいいやって開き直って「これが私の人生なんだ」って胸張ってやってくしかなくて、でも、開き直るのにも疲れちゃったりして、ドラマチックな日々だったことを書いたりしていました。