箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

13/10/05

 原稿を進めないでずっと本を読んでいました。『ディファレンス・エンジン(下)』、『無限遠点のアルタイル』読了。ネタバレを挟みつつ適当に感想など。『BEATLESS』に着手しよう。

 『ディファレンス・エンジン』のサイバーパンクスチームパンク論争は伊藤計劃氏に任せておきます。物語の肝は自己言及性をグラン・ナポレオンに解析させたところから1990年にディファレンス・エンジンが自我に芽生えるまでの、機関の成長に携わった人々の冒険譚でした。「第一の反復」でラドリーが若きジェラードに語ったように、登場人物たちは機関を巡る霧中の『冒険者』なのであり、読者もまた現実との差分に生まれた作中世界を歩む冒険者だったのでしょうか。パンチカードの中身が説明される終盤にそう気付く終盤まではガジェットSF的な萌え方をしていたのでいささか反省。自己言及性が言及され、そして機関が書いていたと明らかになって、初めて機関こそが主人公だったのだと理解できました*1*2

 『Self-Reference ENGINE』が『ディファレンス・エンジン』の自己言及性にフィーチャーしていたと確認したので、SREを記したのがSREそのものなのかちょっと確かめようかしら。『全てを語れるが故に何も語れない』ことがSREの特徴だったのでどう処理されていたか。

 

『無限遠点のアルタイル』は、登場人物に課せられた制限の抜け穴を突くことがSteins;Gateの醍醐味だったにも関わらず、由季・真帆・かがりと履歴がまっさらな人々を登場させてキーとしたのは残念。そのくせに阿万音由季の設定が過積載だし。かがりが由季の姿を偽っていたことはいいとして、由季本人が実際に研究員である必要は全くなかった*3

 とは言えβ世界線の岡部がSteins;Gate世界線を見つけるまでに奮闘するまでをキャラに萌えながら補完できる、そう読むなら悪くないんでしょうか。

 ときに、岡部は牧瀬を殺した直後に彼自身の意志で牧瀬を助けると再び決意できたのだろうか。世界線は思考をどれだけ規定するのだろう。世界線の移動と世界線の移動フラグ成立はそれぞれタイミングが同じである必要はない*4。読み替えるなら世界線を変えると決定する際にその手段を所有していなかったとしても世界線を変更できるので、世界線による思考の制限がない場合は、認識が世界を自在に形作る、主観宇宙モノに落ち着くように思える*5。とっちらかってきたのでここでおしまい。

 

猫2-1鷲

CS進出決定。中村は流石ですわ。ほれぼれ。

 

兎3-4虎

立岡藤村はファームでやり直せ

*1:主人公がマロリーを始め人間だったと思い込んでいたので、彼らが退場するたびに混乱した。

*2:下巻の最後までたどり着いてから便利な用語集を発見したのは痛いミス。おかげで人物があやふやなままだった。

*3:そういえば登場人物の出自は世界線に左右されるのだろうか。

*4:プレイヤーによる選択肢の決定とダイバージェンスの変更は別のタイミング

*5:そもそもSLG全体が主観宇宙モノなのでは