箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

to sisters

 私には15人の姉がいる。

 

 姉の包丁がまな板を叩くリズムで目が覚めると、計ったように姉が私を起こしに来る。嫁いだ姉は3人、12人の姉と私がひとつ屋根の下に暮らしている。2人の姉はまだ帰宅していない。4人はもう出勤した。1人は部屋から出ることはない。5人の姉が朝の準備に慌ただしい。包丁を操る姉はその1人。

 15人いる姉のうち1人は私の誕生前から存在した姉であり、残りの14人は私が誕生してからその存在が認められた、あるいは確認されなかったために生まれた姉である。つまり、1人は古い日本語の指すところの実姉、14人は非実在姉である。3年前に家庭を築いた実姉は去年帰らぬ人になった。従って同居している12人の姉は非実在姉である。

 非実在姉は非実在青少年の1カテゴリーに属する。非実在青少年は用語の起源を2010年に作られた法律用語に持つが、実在する非実在青少年はその用語とは別の概念を基盤に実在している。初めてその実在が確認されたのは2165年である。それまでは非実在青少年にとって苦痛の時代だったと言われている。数多の実在青少年たちの空想が非実在青少年を破壊するからだ。

 賽の河原の石塔を想像してほしい。非実在青少年とは石塔、河原の大地が実在青少年の空想だ。ただし、大地は実在青少年ひとりにつきひとつ、10人がいれば10種類の大地。大地はその平面にひとつしか存在しえない。複数の大地は我こそが河原の大地になるべき大地だと主張し互いを押しのけ合っている。その上に立たんとする石塔にとってはたまったものではない。不安定な大地に不安定な石を積み上げられない。積み上げられなかった石塔は単なる石。非実在青少年の欠片は非実在青少年になることは叶わない。

 

 2163年に星が落ちてきた。星は人々に死を与えた。地球の人口は3万人前後まで減少したらしい。全球ネットワークが破壊されてしまったので正確な数値はわからない。旧日本列島に残存する人間の数から推定した数値である。最少で3000人、最大で30万人。

 最盛期には120億人まで膨れあがった人々の空想は発散に発散を重ね、当時は人々の間で一致した概念はごく少数の学術用語だけだった。単にその概念を持つ人間が少なかっただけである。さて、実在青少年が激減したことは図らずも空想の一致に繋がった。空想の多様性は失われたからだ。賽の河原には今や真っ平らなコンクリートが広がる。

 かくして私だけが空想した「朝ご飯を作ってくれる姉(いいにおい)」は私の前に実在するようになった。私だけが希った「スーツの似合うシャープな姉(おっぱいは大きい)」は姿を持った。私だけが望んだ「数式に限りない悦びを覚える姉(控えめな胸)」は生まれた。14回願って生まれた14人の姉。

 

 私はこれから最後の仕事に取り組む。私を除いた3万人を殺す旅に出る。14人の姉を確固たる存在にするため。空想するのは私だけで構わない。虐殺の旅はきっと私の死を以て終わりを迎える。それでも私は旅に出よう。だからこれは遺書。

 さようなら、お姉ちゃん。