箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

171112 また性懲りもなく感傷マゾをやっている

 また性懲りもなく感傷マゾをやっている。

 今日は朝から京都駅前の免許更新センターまで出向き、昼からは学生時代にいつも原稿をしていた喫茶店*1で原稿をやり、夕方前に一段落してしまったので帰ろうか帰るまいか迷い、迷った末に河原町から田中里の前のとんかつおくだまで歩き、ギリギリ開店前だったから高野の古本屋まで足をのばし、特になにを買うでもなくUターンしておくだのロースかつ定食と豚汁を食べた。ちょうどフォロワー何人かが京都にいた、もしくは飯の相手を探していたから、あるいはサークルの人間でも誘ってでもして、人と食べたら良かったのだけれど、最後くらいは自分の歩調で歩きたかったから一人で歩いて一人で食って帰ってきた。時間感覚としては、喫茶店から出たのが15時半過ぎでおくだ入店が17時過ぎだから1時間半ほど歩いていたことになる。
 そう、さらっと書いているけれど、私はいま関西にいる。会社の研修とかで九月頭から末まで九州、十月頭から来週末まで大阪、そこから年末まで再び九州。九州滞在は、少なくとも前半の部に関しては、思い出したくもない生活だったから後半もそうなったらまたエントリを立てるだろう。失いたいことこそ書き捨てておくべきだと信じているから。
 さて、大阪での研修は研究所で普通に自分の部署の仕事をやっている。内容はこの際どうでもいい。ただ、研究所には、大学にいた(そして本社や工場にはいない)対人関係にクセがありながら優秀な人間が在籍している。そういう人間と仕事をしたり、コーヒーブレイクを過ごしたりすると、研究室生活を思い出す。思い出す、というか研究室生活に割と近かった。業務よりむしろ、延長された学生生活をやっている気分になってくるのだ。
 そして私はまた京都を歩いていた。11月はただでさえ多い観光客がより多く、しかも今年は国立博物館で国宝展が開催されているから、京都駅周辺一帯に観光客が溢れかえっていた。河原町界隈も言うまでもなくごった返している。そんな喧噪にありながら、生きている珈琲は私のオアシスだった。四条通りに面していながら地下にあるせいか人の出入りはおとなしく、ソファーの座り心地が良い。薄暗く音楽の趣味がいいのもまた素晴らしい。いつもブラジル(中)かブレンド(赤)を頼んでいた。コーヒーの味に関する語彙が少なく、とても味のレビューなどはできないのだが、ここに通っていたせいか、ブレンド(赤)がひとつの基準になっていたのは間違いない。コーヒーゼリーもまた美味だった。そして、これまで出した本の四分の一はここで書かれたはずだ。しかしもうその割合が増えることもないだろう。
 鴨川沿いを歩き、神宮丸太町のあたりで東に折れる。熊野寮のあたりから街路樹に銀杏が増え始める。黄色に染まる葉とあの匂いは、大学祭を思い出させてくれる。大学祭に注力する学生だった時期もあった。自分の学生生活の核になっているはずなのに、必死にやったのは最初の2年だけであとは流れだったのだから不思議なものだ。京大病院のあたりから声部講堂までは見事なものだ。この通りだってその2年ではあまり通らなかった(当時は南北の移動は川端通りの方が多かったはずだ。キャンパス移動後の方がシャトルバスを含めて頻繁に通っていた)なのに記憶は時系列を無視して奇妙に結合されている。
 百万遍も変わってしまった。サイゼのあった大学生活は想像できないなあ。たいていはリカーマウンテンとスーパーで雑に買い込んでダチの部屋でやっていた。サイゼがあったらその頻度も減るだろうし、たぶんボードゲームはあんまりやってなかったんじゃないだろうか。輸入してやるほどにはなっていなかっただろう。あと、コウシェンとハイライトの代わりに使ったりしたのかなあ。わかんない。あのころは王将さえなかったんだよなあ、とか思いながら変わってしまった十字路を眺めていた。けれど、そうして建物が生え替わりテナントも入れ替わるなかで、大学祭までの残り時間を示す立て看板は変わらない。新陳代謝の速度で言えば、不動産より大学サークルの構成員の方がはるかに早いはずなのに、人の営みは見かけの上では変わらない。だからこうして感傷に浸ってしまう。いまでも私がそこにいたかのように。もうとうに昔のことなのに。
 百万遍から東大路をどんどん北上していく。あの通りの定食屋は一通り入ったけれど、喫茶店はゼロだ。当時はそんな趣味がなかった。今日はメニューを読みながら歩いているとアイリッシュコーヒーを提供している喫茶店があった。機龍警察を読み始めたのはまだギリギリ吉田にいるころだったから、面白がって行ったかもしれない。行かなかったかもしれない。近所の探偵バーにも行かず仕舞いだったんだから。高野のコミックショックで軽く立ち読みして、でそのまま元来た道を戻る。古本市場は今でこそ猫の額みたいな建物でどうしようもない品ぞろえだけれど、来たときにはイズミヤに併設されていてもっと広くて、要するに立ち読みに適していた場所だった。ブックオフより、なんていうのかな、人の密度が小さいって言えばいいのかな、ゆったりしてたんだよな。
 とんかつおくだ。そう、とんかつおくだはあの生活の象徴だ。あまりに多くを語ってきたからここで敢えて繰り返す必要もないだろうけれど、ただ、願いが叶うなら。土曜の昼前に起きて、10時半か11時過ぎだな、空腹を抑えながら寝床でスマートフォンをさわりながら(XPERIA arcで、twitterクライアントはtwiccaだったはず。あとアイマスのSSも読んでいた)時間を無為に流して、おくだが開くのに合わせて起きあがる。それからご飯大盛りのロースかつ定食を頬張って(いまではみぞれかつ定食のあっさり感が好みだが、若かったからロースかつ定食のソースと芥子がぐっと来たのだ)、午後はサークルの練習か、インターネットか、読書か。夕方か夜には同期で飲む。取り溜めていたアニメを流しながら料理をして「今期なに見てるよ」なんてやるわけだ。腹が満たされたらボードゲーム。重い、ゲーマーズゲームが好きだった。いまではもう面子を集めてやりこむなんてできっこないぜ。願いが叶うならあの週末をまたやりたいな。
 学生時代の街を自分の歩調で歩き直してみたところで、当時の仲間はもう東京や名古屋、地方あちこちで働いているから、思い出を空しくなぞるしかできない。その願いは叶わないから、とりあえず今は早く関東に帰任して、自分の生活を取り戻したいや。
 そんな10月から11月半ばの週末でした。

*1:生きている珈琲