箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

15/02/18 七尾百合子の運命観に関して

  七尾百合子のアイドルとしてのキャリアを『運命』の使い方の変遷から読み解きたい。真っ先に目に入るあいさつの台詞では

『私、何だか最近プロデューサーさんに運命を感じます。これって、もしかして、前世で何か因縁が……?』(あいさつ)(2013年3月)

とロマンチックな使い方をしている。

あるいは

ここにタイムマシンがあればいいのに。私、学生時代のプロデューサーさんと運命について語り合いたいです。(アイドル学園天国 グッドチョイス)(2013年4月)

 しかし『運命』という言葉に込める意味は変わって行く。やがて

『ステージの上には、神も運命もありません。この場所に立てるのは、私たちアイドルだけ!』(アイドルユニットトーナメント ライバル)(2013年7月)

『また3人でユニットが組めるなんて! これは運命……じゃなくてプロデューサーさんのおかげですね! 今年最後の大舞台、最高の夜をお届けします!』(トリプルエース! 七尾百合子)(2013年12月)

 と、『運命』なるものに懐疑的な解釈をするようになる。

 この2つの台詞の『運命』はアイドルがステージに立つことそのものに伴う、たとえばオーディションやライブの企画のような、即物的な困難を指している。

 打って変わって最新の「透明なプロローグ 七尾百合子」である。

『今年もみんな……いえ、風の戦士とともに、駆け上がってこれました! まだ見ぬ運命に向けて、飛躍の力を私にください……!』(透明なプロローグ 七尾百合子)(2014年12月)

 と呼びかけている。この文脈では『運命』の指すスパンはこれまでより長い。

 

 これら『運命』の使い方の変遷に、彼女の一種のロマンティシズムの消失と再獲得を発見できると私は考えている。アイドルをはじめた当初は運命なるものに漠然とした憧れを抱いており、彼女はその言葉に自分自身のアイドルとしての出発点とまだ見ぬ未来を重ねていた。

 しかし実際に活動を行う中で現実の厳しさシビアさを体験してしまったのだろう、『運命』とはまさにそこに現前する障壁だった。夢をそのまま現実にしてくれるものではないということを口にするようになった。そして、アイドルとしてのキャリアを築いて2度目の年末ライブである。ここでの『まだ見ぬ運命に向けて飛躍の力をください』はそれまでの二つとは意味合いが違ってこよう。確かにこの運命は確かに不安を意味している。だが、未来だ。彼女はアイドル活動を続ける中で、近視眼的な困難から将来に目を向ける余裕が生まれたのだ。

 漠然とした未来から、いまそのとき、そしていまと繋がる未来へと『運命』という言葉の使い方が変わってきた。

 さて、「透明なプロローグ 七尾百合子」のスキル名は『私の物語』である。彼女の物語はまだ続く。七尾百合子が自らの物語の頁を繰り進め、挫折し、成功し、肯定し、やがて来るだろう最後の頁で、後書きで、自らの物語を『運命』をどう評するのか私は楽しみでしょうがない。

 

P.S.

 2014年2月のバレンタインキャラバンでは

『……うーん、最後の文を『運命の恋』にするか、『甘い誘惑』にするか……プロデューサーさんならどっちの方がもらってドキドキしますか?』(バレンタインキャラバン グッドチョイス)(2014年2月)

 と『運命の恋』という言葉を使っている。時期的にはここでの『運命』は漠然とした未来より実体を持った現実を指している。そう考えると、ちょっとだけ微笑ましさも増すだろうか。