箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

16/06/17 いちばん悲しくなる方法

 気が狂った。

 世界でいちばん悲しくなる方法を君に教えてあげよう。

 更新の途絶えたファンサイトをひとつひとつ読み潰していくことだ。最初のエントリからやがて間隔が開き途切れ途切れになる更新。コメント、ウェブ拍手。最後のエントリ。最後のエントリは明るい明日へ踏み出すものもあれば――完遂された目標ほど輝かしいものはない、未来は輝いている――、おざなりに日常を綴って、日常はそれ以降つづかない。コメント欄にはアダルトサイトへの誘導が跳梁跋扈するけれどいつしかその流行も時代遅れになり、誰も訪れることのない廃墟。廃墟。末期から3年が過ぎ、5年が過ぎ、ふとした瞬間に――相互リンクを虱潰しに当たってみたり、気まぐれな検索ワードが連れて行ってくれたり――私は遺址に辿り着く。辿り着いてしまったのだ。

 時間は流れに喩えられる。であるならば、更新の途絶えたファンサイトは淀みですらない、河原に打ち上げられた落ち葉だ。流れから放り出され、だれにも顧みられない。プラスチックの落ち葉は腐ることなくそこにありつづける。いつまでも、いつまでも。嘘。Infoseekの河原は更地になった。世界でいちばん悲しくなる方法を君に教えてあげよう。サーチエンジンのリンクをもれなく開け。もれなく開け。開けるだけ開け。そしてなにも開けないと知れ。

 気が狂ったんだ。

 アーケード時代のアイドルマスターのことを知りたかった。

 10年もあれば世代が入れ替わるには充分だったんだ。だれもいない。最初はpixivでいいやって思ってた。でも、ふと気付いたんだ。投稿日時が近すぎる。最古で2007年? アイマスは2005年から動いてるんだぜ。おいおい、絵描きは2年も沈黙してたのか? 違った。pixivが生まれたのが2007年だったんだ。だから、そこにはそれまでのことはなにひとつ記録されていない。川の流れの途中からしか保存してないんだ。笑っちまったよ。SNSってインフラなんだね。その存在は世界を変える。けれど、それまでの世界はどこにもなくなっちゃうんだ。ファンサイト巡りを始めたよ。どこに行ったんだ。ねえ、どこに行ったの。

 2009年に更新が満了したファンサイトに出会えた。オフラインに切り替わったその月に役目を終えたファンサイト。瓶詰めの手紙には日々のプロデュース記録が記されていた。筆者は日々、遊戯し、記録し、記述していた。幸せな生活だったんだろうな。幸せだったに違いない。7年前に放流された瓶の持ち主なんてどうやって見つけるのさ。

 過去が遠い。

 過去への憧憬が私のオブセッションだ。いつもそうだった。抑圧はコンクリート製のシャッターの形をしている。なにもかも遅すぎたんだ。シャッターを開けようと力を込めても空しく、過去は刻々と重い。

 どこへ行ったのさ。

 きっと私はこのブログを忘れ、はてなはサービスを終え、ここもいつか更地になるだろう。河原があった記録だけが残るだろう。だから、さようならだ。ショップに委託している同人誌は数ヶ月もすれば手元に帰ってくるだろう。二次創作小説をストックしていたpixivはいつの日か膨大なファンアートとともに消滅するだろう。そうしたら、もうきっと私の小説は誰にも読まれない。私だって読まないさ。古傷だから、とかそんなんじゃなくて、熱ってのは拡散していくものだからだ。

 だから、いつか、もしかしていつか、だれかが読みたくなったときに、読むことはできないんだ。だれかのレビューとか、口コミとか、つまり口伝で、ここになにかがあったってことだけはきっと残る。でも、なにがあったのかはどこにも残っていない。

 私の意志とは無関係に、私は残り、消え、まだらな私の痕跡だけが河を流れていく。

 ずっと昔のtwitterアカウントで検索したんだ。とっくの昔に消したアカウント。mentionだけがあった。ある日を境にそれは絶えた。やがて別のユーザが同じ名前でアカウントを取っていた。けれどそれももう死んでいた。私と誰かの過去の痕跡の地層。

 インターネットはすべてを記録するなんて嘘っぱちだ。

 10周年だ、ドームでライブだ、アニメだ、映画だ、姉妹だ、姉弟だ、そうやって途切れることなく隆盛を極めているように見えるけど、けっきょくは人の営みの積み重ねであって、それ以上でもそれ以下でもなかったんだな。ひとりひとりの記録と、もっと集まったコミュニティと、コミュニケーションの思い出を取っ払ったら、そこにはデカいコンテンツのガワしかなくて、ガワなんてのはガラクタで、ガラクタですらなくて、もうなにもないんだ。

 2009年に幸福のうちにファンサイトの更新を完了し、また、そのサイトをいまでも放置してくれているだれかに感謝と弔辞を捧げ、いまでもどこかで幸せに暮らしていることを祈って本稿を閉めます。

 さようなら、おしあわせに。