箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

171001 ひとときの夢

 今日のイベントを以て、3年間続けてきた同人サークルの活動を一時お休みということにした。詳細は前回のエントリの通り。

  正直な話をすると、もっと劇的な幕切れがあると思っていた。感涙くらいはあってもいいのかなと。思っていた、というよりはそうだったらいいなという程度の願いと呼ぶにもおこがましい、ささやかな願望。
 しかし現実には、満足感とそれより大きな寂しさを抱えながら家路に着いていた。それは持ち込みが既刊だけだったり(夏コミとそう離れていないし十分なつもりだった)、頒布数が渋かったり(関西はホームだから数よりは出すことに意味を感じるつもりでいた)、前々日まで会社の出張で九州の田舎に飛ばされて感情の動かし方を忘れていたり(関西に戻ってイベントに出れば回復すると予想していた)、そういう僕自身だけのシチュエーション以上に、自ジャンルのサークルがおとなしかったことなんだろうなって。世代交代を感じた。去年の同じイベントでは、関西の仲間内で合同誌を作った。関西をテーマにしたよろず本。6人で作った1冊。去年のエントリを読んでもらえばわかるように、その帰路は果てしない幸福感と手をつなぎながら歩いていた。今年のイベントでは僕を含めて6人で新刊0で、就職や転職や学業や、人生の転換期にすぽっとはまってしまった時期の開催だったみたいだ。
 人には人生があるんだよなーって。人には人生があるから、その変わり目もあり、ある時期に合流した流れは時期が下るにつれて自然と分離していく。
 仲良くしてくださった作家仲間各位には心の底から感謝している。関西に限らず、関東や九州や東北で、僕のやる前からずっとやっていてこれからもやり続ける方やもうやめた方、初めてが同じイベントでいつの間にかいなくなってしまった方、燃えさかる姿が終わりあるもの特有の一瞬の輝きを放っていた方、不義理をはたらいてしまって謝る機会のなかった方。
 あの幸福な時期を、学生生活最後の青春を僕は忘れないだろう。これからも折に触れて思い返して生きていくに違いない。
 終わるから美しいとかそういうしゃらくさいことなんてサラサラ言いたくなくて、いや、だって楽しい時間はずっと続いた方がいいに決まってるでしょ。しかし、それでも人生は局面を迎えて、否が応でも変わってしまう。変化は別れを伴う。別れに別れの挨拶ができるとはまったく限らなくて、また会いましょうって言ってそれで最後なんてよくある話で。
 いまの僕は休むとか言いながら次の本を準備してて(今日も二次会終わりに丸善で資料を買い込んできた)、出るのは数年後かな。数年後って想像したときに、いまの知り合いにはきっとどこかに行っちゃってる人も多いんだろうなって、考えるんですよ。

 想いを届けたい人がそこにはもういないときって、どうしたらいいんですかね。
 生きるのってままならないんだなあって。
 そういうやるせなさ、切なさ、寂しさをアルコールで流し込みながらの家路でした。
 また遊んでください。