箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

220812 辻斬りの話

書きかけの小説の冒頭をアップロードします。

京都の大学生がジャグリングする話です。感想をお待ちしております。

 

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 クスノキ前を猿たちが音楽を掛けてキイキイと飛び跳ねている。ダブルダッチの縄がタイルをリズミカルに叩く。
 大学構内のレストランでガラス越しに彼らを眺める北村たち三人に聞こえるのは、彼らの音声ではなく、店内のスピーカーが鳴らすBGMと客たちの会話だけだ。しかし、BGMに「ツァラトゥストラはかく語りき」とはどのような意図か。八月の大学の夜には仰々しすぎる。選曲は誰の趣味なのか。試験が終わった途端に粋がる自分たちを猿のようだと笑っているのか。いや、考えすぎだろう。当局ならやりかねない。そもそもこの場所はどの程度、当局の管理下にあるのだろうか。北村たちはそんなことを話しながらレストランに身を潜めていた。
 チームで揃いのTシャツに身を包んだダブルダッチサークルを眺めるのは、クスノキを囲むベンチに腰掛けるカップル達。彼彼女の隣に陣取ってカードを選ばせるマジシャンサークル。乱雑に放り出された自転車に座ったままハンドルに半身を預ける人物がどんなサークルに属しているのかは北村らには推測できない。一五人くらいの小集団。
 一体の人影がクスノキ周囲の彼らを一瞥し、黒い箱をひとつ地べたに置いた。あいつだ、と北村たちは三人は頷き合う。黒い箱の男。彼はその中から取り出した黒いパーカーを羽織ると、真っ白な道具を五つ手に取る。白骨めいたマットさを帯びたクラブ――『ボウリングのピンのような』とは余りに冴えない言い回しだから北村は自分の道具を紹介する際には好んで使わない。
 彼は右手に二本、左手に三本をそれぞれ握ると――左利きか、珍しいな――フウッ、と息を吐き出した、ように見えた。
 五本の真っ白なクラブがクスノキ前で宙を舞った。上空の頂点を経てそいつの右手から左手へと移る軌道と、右手から左手への軌道とは正確に鏡映しの軌道とが、両手の間に架橋される。一双の仮想の放物線の二つの頂点は、互いに重なることなく約三メートルの高さに位置している。しかし、道具を正確に投げられるかなんてのはジャグリングの技巧のほんの一部でしかない。
 北村はすっかり氷が溶けてしまったチェイサーを飲み干して、そのジャグラーをガラス窓から睨め付ける。黒いパーカーのフードを目深に被るそいつは、北村たちのサークルを掻き乱すにはカリカチュアライズされすぎた犯人像な気がしたし、飾り気のない道具はストイックさを放っている気もした。京都の夜のうだるような暑さにもかかわらず目撃情報はいつも長袖。そいつの芸風なら自然と長袖になるか、と北村たちは結論づけている。
 クラブを投げ続けるそいつは、まっすぐに背筋を伸ばして緊張感を演出している。だが、やや脱力して折れ曲がった足は、クラブという道具を自分の身体の一部として扱い慣れた、相当にこなれたジャグラーであることを伺わせた。かたく閉じられながらも余裕そうに口角を上げた表情は訓練の賜物だろう。北村は鍵のように閉めたままにすることしかできない。身体と道具の使い方は少なくとも自分や桑島よりも上手だ、と北村は感心する。桑島は口角を上げたままそのジャグラーをiPhoneで撮影している。
 豊田と競えるかは投げ合ってみないとわからない。当の豊田は、やおら腕を組み、背筋を大きく反らした。紺色のポロシャツから発達した胸筋と乳首が浮かび上がる。豊田のトレードマークは、飾りっ気のない黒いクラブと、それらを自在に操るための筋肉だ。クラブの〈ボディ〉は持ち手である〈ハンドル〉から先端に掛けて滑らかに徐々に膨らみ、先端まで樹脂で一体成形されている。ハンドル側の末端〈ノブ〉は白。ジャグリング用品は寡占市場だから、クスノキ前で投げられ続けているクラブは、豊田のそれのカラバリかもしれない。
「今日は誰持ちやったっけ」
 豊田はそう言い、今日も俺、と答えた桑島に向かって伝票を滑らす。桑島はじゃんけんに負けて撮影係に任命されたが、支払い係でもあったようだ。
「じゃあ、桑島、後は頼んだ」
 北村と豊田の二人は、桑島を残して決然と席を立つ。その日の〈エンデュランス〉で投げ負けた奴が支払いを持つのが北村らのサークルの不文律だ。道具を投げて、落とすまで投げ続けるだけの、競技未満のジャグラーのゲーム――エンデュランス。耐久、という意味の通り、ジャグラーの耐久力、地力、甲斐性を示すゲームだ。文明の産物たる受験戦争を経て国立大学まで来て勝ち負けを決める方法がそんな野蛮とか、進化しないままの猿かよ、と北村自身も思う。
 ジャグリング用品を詰め込んだラケットバッグを背中に担いだ豊田は、そういうことを思わない奴だ。そのバッグには少なくとも七本のクラブが収納されている。豊田にとって五本は投げて当たり前、七本は目下練習中。北村のノースフェイスのリュックには五本だけ詰め込まれている。
「俺とアイツどっちが〈続く〉んかなあ」
 ファイブ・クラブ・エンデュランスの、サークル創部以来の最長記録の保持者は、獰猛に口角を上げる。十一月に開かれる大学祭の『変人コンテスト』だとかに真っ先に動画を応募した。豊田がソロの動画を投稿して、今度は北村と豊田のデュオでの動画投稿を目指して練習を始めた矢先に『黒い箱の男』が現れた。その捜査のせいで練習時間は減らされる一方だ。
「スカウトくらいしてやってもええかな」
 いずれにせよ、部員らの報告をまとめると、彼の活動時間は五本のクラブを投げ始めてから約十五分。
すなわち、北村らがお縄を頂戴する猶予も十五分ってことになる。北村はレストランの扉を推して軽口を敲く。
「狩りかよ」
 しかし、アイツがもし本当に活動時間中ずっと五本のクラブを投げ続けるのなら――北村は謎のジャグラーを肉眼で見据え、身震いした。「ツァラトゥストラ」は背後でちょうど終わったところだった。