箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

240702 平田オリザの『演劇入門』をエンタメ小説に適用するには

私のお話作りのバイブルである『演劇入門』(平田オリザ)を、もしもエンタメ小説に適用するとしたらこうだろう、というビジョンを言語化できたので残しておきます。『演劇入門』を読了している前提で書きます。

いま書いている原稿は、エンタメ小説のためで、きちんとしたエンタメ小説を書くには、私が以前書いていた二次創作よりもきちんと読者の認知に寄り添って会話・シーンを作らないといけないっぽくて、そのための手法を日々考えています。

①会話の魅力を削ぐ「説明的な台詞」について

演劇の台詞作りをエンタメ小説に適用する際の変更点も徐々にわかってきて、演劇ほどの視覚的な迫力をエンタメ小説は有していないところがキーですね。だって、小説って文字の連なりなんだもの。

平田オリザは、演劇では「リアルではない台詞」は避けるべきであると度々書いています。リアルではない台詞、とは、説明的な台詞、と換言可能です。背後にあるのは、演劇が持つ視覚的な迫力への確信だと思います。演劇では視覚に訴えるために無用な言葉は不要であると。

しかしながら、エンタメ小説では、舞台を説明的な台詞で説明せざるを得ない。繰り返しですが、文字の連なりなので。わかりやすさのためには美しくない台詞も使わざるを得ない。

私の気付きとは、だからと言って諦めるのではなく、「台詞に役を割り振る」ことで説明的な台詞を脱臭できるのではないか、ということです。台詞は、感情のため、状況の説明のため、物語の進行のため、単なるユーモアのため……、様々な役割があります。そして、一連の会話の中でそれぞれの台詞の役をフュージョンさせる。登場人物に感情を惹起させつつそれ自体が自ずと次の状況を導くように、だとか、ユーモアで読者の認知を緩くしたところに状況説明を差し込む、だとか。

台詞の役割をバランスさせていくことにヒントがあると思っています。そういう会話を私は書きたい。

②魅力的なシーンを作るための「セミパブリック」について

『演劇入門』はあくまで「演劇」その中でも「一幕もの」のための一冊です。つまり、一つの場所や登場人物で繰り広げられる物語のための手引きです。それゆえに当たり前なんですが、複数のシーンから成るエンタメ小説の作り方を教えるものではありません。それを断った上で、やはりエンタメ小説にも適用できるノウハウが詰まっていると信じています。

一幕ものは一つのシーン(空間)しか使えないために、観客への情報の出し方が著しく限られています。本書の読みどころは、その情報の出し方のノウハウであり、最重要なのは「セミパブリック」という概念です。セミパブリック(中間)とは、プライベート(内部)とパブリック(外部)の中間に位置する概念です。

例えば、葬儀所のような。葬儀所は、個人と親しかった親族(内部)ー仕事の関係者(中間)ー出入り業者(外部)が出入りする、セミパブリックなシーンです。これら三者の間の情報の濃度の違いこそが、情報を観客に与えるためのきっかけとなります。そして、情報の濃度の違いが魅力的なシーンを作ります。

一方のエンタメ小説では、大ざっぱに言って、シーンを固定する必要がありません。ここが一幕ものとの最大の違いです。一幕ものでは、プライベートーセミパブリックーパブリックを、一つしか用意できず、そのために全体を通して空間や登場人物に関してセミパブリックを貫く必要があります。対して、エンタメ小説では、一貫してセミパブリックである必要はない。むしろ全てがセミパブリックだったら読者は飽きるでしょう。

この違いをさらに広げてみると、複数のシーンから成るエンタメ小説の醍醐味は、次のようなところにあるのではと考えられます。複数のシーンのそれぞれに三つの概念を当てはめ、全体としてプライベートーセミパブリックーパブリックがバランスするようにできることに、醍醐味があるのではないかと。

③むすび

今の原稿の初稿に終止符を打てたら、台詞の役割のバランスの視点、プライベートーパブリックーセミパブリックのバランスの視点から小説の全体を俯瞰してみたいと思います。どんな結果になるのか、今から楽しみです。