1. 頭から書く
頭から書くのをやめました。
なぜなら、真っ白な原稿に向かって書き出しを悩む時間が世界で一番ムダな時間だと気付いたからです。
私は「書きたいシーン」から書き始めました。
「書きたいシーン」は人によって様々でしょう。
申し遅れました。
吉﨑です。サラリーマン生活のかたわら、小説を書いています。
2018年3月から2019年3月までの1年間で16万文字の長編を書きました。
それまでは3~4万文字程度の同人誌を4ヶ月で書いていました。
したがって、25%増しの速度で書いた計算になります。
1年間の試行錯誤のなかで、書き続ける日々のための原則がわかってきました。
本エントリではそのために「やらなかったこと」の紹介と解説を行います。
働きながら小説を書く方のご参考になればと思います。
(編注:2019年3月ごろに途中まで書かれた記事が、2020年3月に発見されました。供養のためそのまま公開します。)
(タイトルには「3つのこと」とありますが、エントリ中には「2つのこと」しか書かれていません。ご容赦ください。)
(読み直して一番役に立ったのは(エントリ最後のメモに書かれている)通称「1文字1円ルール」、高い喫茶店に入って注文して、注文金額以上の文字数を書くやつでした。)
(せんでん:小説本『七尾さんたちのこと』を書いたときの覚え書きです。)
目次
1. 頭から書く(創作論)
大原則
2. プロットを立てる(創作論)
3. スキマ時間に書く(生活論)
まとめ
やりたいけどやれなかったこと
1. (承前)頭から書く
小説を頭から書くべきではない2つの合理的な理由があります。
1-a 思いつくシーンが冒頭に適しているとは限らない
1-b 冒頭は結末に対応していると嬉しい
1-a 思いつくシーンが冒頭に適しているとは限らない
冒頭で述べたとおり、真っ白な原稿に向かって書き出しを悩むのは、世界で一番ムダな時間です。
なぜなら、そもそも、冒頭に配置できるシーンは、小説全体のテーマ、テイスト、構造などを大きく規定するからです。
また同時に、それらによって、書き出しも規定されます。
したがって、書き出しは、いまその瞬間に書きたいことの外側、つまりまだ決まっていないし、その上、まだ全貌の見えない事柄に大きな制約を受けると言えます。
つまり「冒頭に書く【べき】シーン」と「いま書きたいシーン」とが一致するとは限らない(むしろ、往々にして不適切ですらある)からです。
さて、小説を書く時間の限られた私たちにとって、最も忌避すべき存在は「悩む時間」です。
仕事から疲れて帰って、机の前でウンウン悩んで、なにも出ず、そのまま力尽きて無力感に打ちひしがれたまま迎える翌朝など、考えつく限り最悪の夜です。
悩むのはなぜでしょう。決められないからです。
決められないのはなぜか。決めるべきことが自分のコントロールできる範囲の外にあるからです。
しかしながら、いま小説を書こうとしている私たちの頭のなかには、いま「書きたいシーン」があるはずです。(なぜなら、あるから書こうとしているのですから)
そこで、まず「書きたいシーン」を書いてあげましょう。
悩むのは後にしましょう。
全体に関わる事柄は、書き進めるうちに決まり、見えるようになるでしょう。
悩むのは、とにかく後にしましょう。
そのために、「書きたいシーン」から書き始めましょう。
消極的な方面から「最初に冒頭を書くべきではない理由」を述べました。
1-b 冒頭は結末に対応していると嬉しい
冒頭が結末に対応していると嬉しいし、結末が冒頭に対応していると嬉しい。
対称性を美しいと感じる心は誰しもに共通する心だと思いますし、日本には四季があります。
その意味では、むしろ、結末まで到達してから冒頭に手をつけるべきですらありますね。
現実的ではないように思えるかもしれません。
しかし、語りの構造を複層化させることで可能となります。
たとえば、枠物語はどうでしょうか。
枠物語(わくものがたり、英語:frame story, frame tale, frame narrative, embedded story)とは、導入部の物語を外枠として、その内側に、短い物語を埋め込んでいく入れ子構造の物語形式である。大きな物語の中に異なる短編小説などが次々と語られるこの技法で描かれた小説を「額縁小説」とも呼ぶこともある。
出典 Wikipedia「枠物語」
『千夜一夜物語』などで知られる、いわゆる「入れ子」構造です。
最後を書いてから冒頭を書くには、たとえばこんな手法があるでしょう。
1. まず内側の物語、次いで内側の物語の結末を書きます。この際に内側の物語の冒頭はいったん忘れましょう。
2. 続いて、外側から内側の物語の結末を語り直し、外側の物語の結末とします。
3. 最後に、外側の物語の結末に対応した、外側の物語の冒頭を拵えます。
これだけで、結末と対応した冒頭を容易に作ってあげることができます。
副産物的に、枠物語として語り直すために、全体の構造を把握できるようになります。
4番目のステップとして、外側の物語ありきで内側の物語を再構成した後に、あらためて外側の物語、枠を外してあげるなどの手法もあります。
すなわち、外側の物語を物語の構造をとらえるための補助線として用いるということですし、補助線は使い終わったら不要ですから、消してあげてもいいわけです。
(最初に枠を作ってから、後で消す。物語の外に置くことを強調)
積極的な方面から「あとから冒頭を書くべき理由」を述べてみました。
以上、「頭から書く」をやらなかった理由でした。
ものの脚本術の本には、「頭から書いて、最後に頭を捨てる」みたいな富豪的な書き方が説かれていました。
ムリやんけ、とサラリーマンであるところの私は思っています。
だって、書いたの捨てたくないじゃないですか?
限りある余暇に、ない頭を捻って生み出したもの、捨てたくなくないですか?
私は働いているし、ケチですし、次のような大原則に従っていました。
大原則1: 書いたものは消したくない
大原則2: 余暇には限りがある
大原則3: 1日当たりの文字数には限りがある
大原則1は上述の通りです。(大前提2と3は後ほど)
私は小説を考えるのも書くのもトロいので、できる限り書いたものを捨てたくないと思っています。
そのためのソリューションはシンプルです。
書きたいシーンから書き、そのシーンが活きるように次へ(前へ、でもいいし、次の次へ、でもいい)その次へと組み立てていくだけです。
むろん、書けば書くだけ、後から直すコスト、リスクが高まります。
この賭けの掛け金は「書きたいシーン」(しかも既に書かれた!)ですから、賭けに勝つための最大限の努力をせざるを得ない状況に自身を追い込むことができます。
悪いことばかりではありません。
書けば書いただけ、シーンを書くための制約が可視化されるのです。
たとえば、1-aで述べた「冒頭を決めるには全体のテイストが要る」というような、そういう制約です。その制約、小説のなかの決めごとに乗っからない手はないでしょう。
あるいはたとえば、アクションを書きたくて(後先考えずに)書いたなら、アクションを起こすための理由は、書かれたものから逆算できるようになります。
逆算できなかったら、また別のシーンを書いてから考えればいいでしょう。
つまり、書けば書くほど、書くのがラクになる、ということです。
そろそろカンの良い方や、目次に目を通した方はわかってきたかもしれません。
プロットを立てずに小説を書きましょう。
2. プロットを立てる
プロット、ありえんむずかしくないですか?
だって、最初から最後まで考えるの異常に時間がかかるし、最悪なことに、本文を書いてるうちにキャラクターが勝手に動いて、せっかくのプロットが瓦解するじゃないですか。
悪夢的な「プロットを最初から最後まで考える→本文をちびちび書く→プロットから外れていく→最初に戻る……」のループを断ち切りましょう。
では、なぜプロットを立て、その通りに書くのがこれほどまでに難しいのでしょうか。
この2点に尽きるでしょう。
2-a 書くのが遅い
2-b 考えるのが速い
2-a 書くのが遅い
もしも、考えたプロットが一瞬で本文として固定されたならば、「書いてるうちにプロットから外れる」なんて事態を迎えることは論理的にはありえないわけです。
ロジカルに考えると、プロットから外れるのは本文を書くのが遅いからなのです。
本文の執筆速度を上げられたなら、それほど簡単なことはありません。私が教えてほしい。
私は、書くのが遅い自分を受け入れました。
その上で、書くのが遅い自分にできる最大限の方策を考え、このエントリを書くに至っています。
「書くのが遅い」の意味するところには、実はバリエーションがあります。
「書くべきものを考えるのが遅く、書き始めるのが遅い」と「書くべきものはあるが、書くのが遅い」です。
あなたはどちらでしょうか?
私は後者でした。
「書くべきものはあるが、書くのが遅い」の私は、書くべきものたちを、プロットの上に最初から整列させることをあきらめました。
書いてから都度で並べる。これは1の通り
書きながら考えるのをやめる。
・ブロック工法
2-b 考えるのが速い
2-aの裏返しですが、1シーンを書くより、1シーンを考える方が速いためにプロットが固定されないともいえます。
そして、絶対に避けなくてはならないのは「書くべきものがなく、書けない」状況です。
1シーンだけは考えてから書く。
執筆速度から1シーンの縛りの文字数を設けた。
書くべきもの(シーン)をひとつ書くための文字数を固定しました。
1シーン当たりの文字数は、おおよそ、1週間に書けるだけの文字数の半分とします。
したがって、理屈の上では1週間に2シーン書けることになりました。(詳細は後述します)
1シーンの文字数が決まると、全体の文字数が自然と定まります。
逆に、全体の文字数から、1シーンの文字数を求めることもありましょう。(後述する)
1つ先、できれば2つ先をストックする。
まとめを書く、
さて、「プロットを立てない」とはいえ、無計画に書くのは不可能ですから、目安を設けましょう。
脚本の構成に関する「三幕構成」という手法があります。
三幕構成(さんまくこうせい、Three-act structure)は、脚本の構成である。三幕構成では、ストーリーは3つの幕 (部分) に分かれる。それぞれの幕は設定 (Set-up)、対立(Confrontation)[3]、解決 (Resolution) の役割を持つ[4]。3つの幕の比は1:2:1である[5]。
出典: Wikipedia 「三幕構成」
要するに、ストーリーを「1:2:1」に分割するという考え方です。
物の本によると、それぞれがさらに「1:2:1」に分割されることが好ましいとありました。
「1:2:1」とは、「4分割し、真ん中2つを繋げる」を意味します。
よって、三幕構成の基本的な考え方とは「ストーリーを4のn乗に分割する」とまとめられます。
さらに言い換えます。
シーンを4のn乗だけ作りましょう。
シーンの文字数は全体の文字数と速度から決まる。
1シーン2,500文字
1章=4シーン=10,000文字
1部=4章=40,000文字
1冊=4部=16,000文字
1シーン2,500文字×64シーン=160,000文字
(書くうちに気が変わる、をやらんでええこと)
・プロットを立てる
書いてるうちにどうせ変わってくる
書きたいものだけを
最初から全部揃ってることない
揃えている間にどんどん増える
頭は逆算して書く
3幕構成ならハンドリングできるまで4つに割る
2番目の2番目から書くのがちょうどよかった、2-2→2-4、1-1→2-1
3幕構成は直しのときに使う考え方、最初からは無理→プロットを立てる、に繋げる
大原則
・(ケチ)書いたものは消したくない心理
一方で無駄なものを削る楽しさがあった
カウントし続ける、レコーディングダイエット
・時間当たりの文字数が決まっている
余暇の上限値は決まっている
・(怠け者)1日当たりの文字数が決まっている、土日で稼げない
→平均的に書き続けること、平準化する
結末と対の方が気持ちいいんだろうから、むしろ最後まで見えてから書くべき
じゃあどうしたか
書きたいシーンから書くべき
書きたいシーンのために書きたいシーンがあったらそこから始める
書きたいシーンがアクションではなかった、むしろそれがあったら「場が面白くなる」場を
「場が面白くなる」は、私には「ハーフパブリック/半公共」
半公共に頭を使えるか、分析がないと長編は書けない、なんらかの分析に基づいた空間で、しかも半公共がベスト
そういうシーンを考えられたときが一番気持ちよくなったし、書きたくなった
・スキマ時間に本文を書く
出先では本文は書かずにメモ帳に書いてた、散逸させない
書いたことを消すのに抵抗がいるから書かない
1円1文字ルール
アイデアを文字にし続ける、本文にはしない、固定させない、揺らしておく
紙で出すことは決まっていたから、レイアウトを固定してタブレットで書いてた。
2シーン分のネタ集まったら1シーン分書くくらい
ネタが止まるとすべて止まるので、出し続ける
・できなかったことリスト
早起き、土日で稼ぐ、徹夜、PCでメモする
→自分がどんな書き方なら継続的に生産できるか