箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

210619 冴えカノにハマった話

先週末にアニメ『冴えない彼女の育てかた』(以下、冴えカノ)、『同♭』および『同Fine』を観ました。2日間でテレビアニメ全25話+劇場アニメを通しで観るのはなかなかタフな視聴体験だったけれど、通しで観ることができてしまったこと自体が作品の評価ですね。そのまま原作の短編集とガールズサイドと最終巻とだけ読んでそれで終わり!のつもりが、一気に全20冊を読んでしまいました。

 各ヒロインをきちんと大好きになることができた上で申し上げると、加藤恵がヒロインとして立ち上がっていく様が大々々好きです。アニメだと原作よりも顕著でしたが、当初は安芸倫也との会話の中でしか見えなかったキャラクター性が、自然と、ゆっくりと、着実に読者に蓄積していくのが気持ち良かった。

今回のエントリでは5巻ラストの話だけ書きます。気が向いたら1巻のラストの話も別のエントリを立てます。

 

5巻は、全巻通して出色の高い象徴性を誇っていた。原作者・丸戸史明は1巻~7巻、8巻~13巻で第1部と第2部とに分けていたが、第1部の中でも5巻と6巻との間には明確に一本の線を引くことができるだろう。

ゲーム制作の観点からは、安芸倫也の主体性──というかエゴが(単に良いクリエイターを集める以上に)シナリオライターとして昇華される。名ばかりディレクターからシナリオライターへの、霞ヶ丘詩羽の力を借りた変身。

一方で、加藤恵霞ヶ丘詩羽および澤村・スペンサー・英梨々の3人も(安芸倫也に頼まれたから以上の動機で)自らたちで、加藤恵をメインヒロインへと押し上げていく。加藤恵は、霞ヶ丘詩羽のシナリオに隠された意図を発見し、あるいは逆に霞ヶ丘先輩が加藤恵にメインヒロインを演じさせ、澤村・スペンサー・英梨々はその演技をイベントCGのために描き起こす。

主人公と各ヒロインあるいは各ヒロイン同士の個対個の関係から、より複雑化した、個対個を踏まえた『場』の形成へと物語構造が変容していく──そこに『冴えた彼女の育てかた』の魅力があった。

5巻ラストからドラスティックに変わってくんだって、マジで。

6巻巻頭で加藤恵がモブ男子の告白を「冬コミがあるから」とにべもなく断っていることをわざわざ描いた意味、というかそんなのマジで考えるまでもなく、加藤恵にとってその時点でサークルが非常に重みを持っているんですよね。

いや、それはサークルなのか? それとも安芸倫也その人なのか? いずれであったとしても、加藤恵は「フォークダンス霞ヶ丘詩羽と交代する」という約束を守るのか?  ぼくは守らないんじゃないかなあって、サークルか安芸倫也その人かわからないけれど、簡単に手放さない程度のエゴを発揮してくれるんじゃないかなあって。

それがすごい『萌え』だなって感動して、感想に代えて萌え萌えエスエスを書きました。

吉﨑堅牢名義で2年ぶりです。2年ぶりがこれかよとかいわないで。

www.pixiv.net