箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

230930 映画『アイドルマスターミリオンライブ! 第3幕』(綿田慎也)観ました。

今回は公開2日目に観ました。

今回は! 【GOOD】の方が【BAD】よりも多いです!

嬉しい!!!!!!!

TOHOシネマズ上野

これまで第1幕、第2幕と肩を落として映画館から帰路に就いていたんですが、今回第3幕はテンション上がったまま帰ることができました。本当に良かった。

【GOOD】

とにかくゴリゴリとアイドルがライブで動いてくれて良かった。本当に良かった。また、これまでの論点だった「最上ちゃんの父親が娘の活動を認めるのかどうか」という点に対して、絵的な回答を早い段階で提示してくれたところですね。この「速度」が第2幕までのミリアニに決定的に欠けていて、正直、第3幕も「これ以上は私を失望させないでくれ……」と覚悟して観に行っていたんですが、ウソみたいに立ち上がりが良くて、まるで別人が作ったようでした。

とにかくライブの絵の良さとお話の立ち上がりの良さの2点ですね。

ライブでは、機材トラブルが起きつつ(このアクシデントが現実のそれを踏襲しつつ作られているのは知っている上で、フィクションとしては全く好みの起こし方ではないのはいったん脇にやるとして(脇にやれるくらいにトータルで良かったのでぜんぜん許す!))、立ち尽くすミリオンスターズ、客席から応援する如月千早、からの奮起のアカペラ。観客のペンライト。これが私が本当に観たかったアニメでした。

しかしながらなかなか復旧しない機材。控え室から思わずステージに向かって走り出す春日ちゃん、復旧から奮起してステージに上がる白石ちゃん。白石ちゃんのライブシーンもバチッと決まっていて。あれが今回のサビでしたね(第3幕ではよくよく彼女の緊張を描いてきたからこそライブシーンの奮起が決まっていて、そういうの、やればできたんじゃん)。

ライブシーンで特筆して良かった絵は、Team 5thでしたね。足下の動きが綺麗に揃っているのをアニメとして見せてくれて、とても嬉しかったです(足下を綺麗に描くのって難しいので)。

立ち上がりの良さについては、ミリオンスターズの四者四様に困った姿を描きながら、先輩が(やはりそれぞれ異なったアプローチで)手を差し出した点ですね。先輩だからこそわかる気持ちをサラッと見せることに成功したときには「やればできるじゃんお前!」って肩パンしたくなりました。

そして如月千早から最上ちゃんへのアプローチがあったからこそ起きてしまった、最上ちゃんの空回り。きちんと出来事を繋げられるじゃん!!!って。後輩が困り、先輩が助けるが、助かったがゆえに次なる問題が後輩に起きてしまい、しかし最終的には後輩が自ら(あるいは仲間と力を合わせて)解決する、という流れ。私それ見たかったんですよ。

これこそが先輩に続く後輩のお話(要するに、アイドルマスターミリオンライブのことです)を描くときの一つのあるべき姿じゃないですか?って(そして後輩はやがて自立し、自立したがゆえに次なる問題が起き……と続くとなお良かったが)。

これを見たかったんよ。

 

【BAD】

最上ちゃんの父親に娘の出演するコンサートに来てくれるようにお願いするシーン。あれだけは本当に(マジで)受け付けませんでした。必死にお願いして頭を下げる春日ちゃんと伊吹ちゃんに対して棒立ちのプロデューサー。(絵的にアイドルに頭を下げさせたかったモチベーションは分かったけど)大人であり上司であるところの彼が率先して頭を下げないといけない立場じゃないですか? 

堅物会社員っぽい最上ちゃんの父親の立場から「部下には頭を下げさせるけれども当人は棒立ちの上司」という人物を見たときに、その人物に愛娘を預けるという決断ができますか? という疑問がふつふつと湧いて止めることができませんでした(これは私の今の上司に対する怨念でもあるので何割か割り引いて下さると幸いです)。

 

【総括】

ただ、このお話を前半(中間部まで)でやれよ!!!なんだよなあ……。

一番リキ入れたライブだからと言って、出し惜しみしましたね。

もしも、もしも6話くらいまでで最上ちゃんの父親との確執が解決してそのまま気持ちよくライブに雪崩れ込んでいってくれたらば、ミリアニの評価、ぜんぜん違ったのになあ………………、としみじみと思わざるを得ないです(3話だったらもっと最高だった)。

第1幕、第2幕と、信じられないくらい多いアイドルの一人一人に見せ場(というより、お約束)を作るために、なんかすごい苦労して捌いてたじゃないですか。私、順序が逆だったと思うんですよね。

これまでの12話を、全知のプロデューサーさんの立場からではなく、作中のファン(ASは知ってるけどミリオンスターズはほとんど初見の765プロのファン)の立場から見直してみて下さい。765プロのファンにとって(しつこく繰り返すけれどASのファンにとって、という意味です)ミリオンスターズのアイドルって初見なワケじゃないですか? そのファンがミリオンスターズに触れる機会って、まず、こけら落としのライブだと思うんですよね。「ああ、後輩がリキ入れてやるなら観に行こうか(ついでにもしかしてASも見られるかもだし)」って。あるいはそのニュースとかで。

こけら落としでミリオンスターズの各アイドルのビジュアルやキャラクターを知って、それから個別(か、箱か)で追いかけていく……、そういう流れだと思うんですよね。そういう、一種の通過儀礼であるところのデビューライブを経てからアイドルを見詰めると、39人とかいるアイドルが各チームに分かれたとしても、全員をぜんぜん追いかけていけるんですよね(この感覚はドルオタだった時に養われたので、皆さんの引き出しにはない感覚かもしれません)。

そして、そのファンの立場を踏まえてこのアニメの視聴者になると(つまり、事務所の内側も見ることのできる視点に立つと)、こけら落としのライブのためのASの如月千早とミリオンスターズの最上ちゃんとのお話は最初に見たい話じゃないですか? で、最上ちゃんの父親との確執、こけら落としのライブ前に解消しておかないと物語にならないじゃないですか? 先輩との協力と父親との確執の解消は、ゴールじゃなくてスタートなんですよね。大前提。

前半でデビュー前の話をして(主要キャラクターの立ち上げ)、中間部でこのライブをして(ここまでキャラクターの「集中」のフェーズ)、後半で各チームの活動(他のキャラクターへの「拡散」のフェーズ)、そして最後にもう一回ライブ(最後の「集中」)とやってくれたら、ぜんぜん印象が違っただろうなあ……、と。

まあ、要するに「てづくりのぶどーかん」のために(取り返しのつかないほど貴重なリソースであるところの前半の)時間もキャラクターも使いすぎたね、という話なんですが。やりたかったことは痛いくらいよくわかるんですよ。グリマスってそういうコンセプトのゲームだったし。でも、ここは腹を括って、最初からミリシタのアニメにしなきゃだったんかなあと思ってます(ミリシタに準拠したからこそ、白石ちゃんと桜守ちゃんを重要人物にしたんでしょ?と)*。

腹を括ってミリシタに則って最初から「劇場」があることにする。劇場でデビューライブをするまでにトラブルが起きる。解決して各チームに散って活動して、最後再びライブに臨む、そういうの見たかったですね。大量のアイドルをさばくために「チーム」って考えを採用したのは非常にね、ナイスアイデアだったと思うんですよ。

やりたかったことはわかった。でも、出し惜しみして順番間違えちゃったね、というのが最終的な評価でした。

でも、第3幕のライブシーンは本当に良かった。アイマスのアニメってこうあってほしいよね、というのを見せてくれました。

最後に良い気分で映画館から帰路に就けて、本当に良かったです。

 

【2023/10/01追記】

* 一晩明けてからわかったんですが、このアニメを誰に向けて作るのかについて腹を括れなかったのかなと思います。今のお客さんのミリシタのファンにはもちろん、お話の早い段階で「てづくりのぶどーかん」を見せてグリマス時代の(昔の)ファンにもリーチさせたい。どっちも取りたい。そういうスケベ心があったんじゃないですかね。コンセプトを一貫させられなかった。

私はね、このアプローチは間違いだったと思ってますよ。

全体感を歪めてまで入れた「てづくりのぶどーかん」よりも、第3幕のライブシーンを早い段階で見せていれば、それだけで話題になったと思いますよ。

こういう感情を起こさせてくれるくらいには良かったよ。第3幕のライブ。

で、こういう感情を起こしてしまうくらいには良くなかったよ。「てづくりのぶどーかん」のライブ。