箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

240110 ちょっと不安定(地震の後)

令和六年能登半島地震の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

このエントリは地震に関連するトピックを扱います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年1月1日の16時過ぎの地震当時、私も石川県南部におりまして、メチャ揺れました。これまでの人生でいちばん揺れを感じました。揺れの前後で緊急地震速報が鳴り止まず、鳴っては止み、鳴っては止み、石川県南部から私の実家の位置する福井県北部に自動車で移動する際にも家族はいつもよりも気を張って運転していました。道中、被害に遭った父の勤務先を訪れたのですが、共用トイレのタイルが剥がれ落ちていたのが印象に残っています。オフィスの床に書類が散乱していました。やはり道中、福井県内では断水している地域もあるとの報道を目にしてコンビニに走ったのですが水は当然売り切れており、代わりに万が一に備えて給水車から水を運ぶためのビニールバッグを買いました。

帰宅すると水が出る間に確保しなければと一目散に風呂場に水を張ったものの、その水が赤茶けており飲用はもちろん入浴にも使えそうに見えなかったのがとても不安でした。その後に近所の祖母(高台に避難していた)の家に行くと、庭の灯籠が数基倒れて砕けていました。庭の灯籠は大きいものは私の背丈ほどあり、それが人のいるところに倒れなくてよかったという安堵と、庭における一種のシンボルでもありましたから、それが崩れてしまったことへの動揺を感じました。

地震の翌日、私は実家にて出来ることもなくニュースを眺め、本を読む気にもなれず、音楽はバド・パウウェルの『The Amazing Bud Powel Vol. 5 / The Scene Changes』をひたすら繰り返し聴いて心を落ち着けていました。翌日3日に東京へと戻ることになっていたので、北陸新幹線が動くかどうかも関心事でした。無事に帰れたものの4日、5日を休まなければならないかもしれないと不安でした。

幸いなことに家族と親族には人的にも物的にも被害はありませんでした。でも、とにかく不安でした。

4日から新年の仕事が始まり忙しさの中で癒やされていくかとも思ったのですが、時たま目にするニュースは被害の甚大さを物語っており、なかなか思ったように日常のフラットな気持ちに戻れず、心はざわつき続けています。直接に被害を受けたわけではない私ですらそうなのですから、被害に遭われた方々はさぞやと想像します。

そういうわけで、このブログに心中を吐き出しています。

そういう感じで始まって不安定になっている1月10日ですが、なんとかフラットさを取り戻せたらとこのエントリを書きました。落ち着くといいなあ。