箱庭療法記

人々がきらきらする様子に強い関心があります。

240128 インターネットをやめられないみんなも紙の日記も付けよう

タイトルの通り。

私はインターネット・ジャンキーなのでインターネットに「生活を書くこと」をやめられない。でも、インターネットはメンタルを削る。でも、インターネットをやめたくない!!! というか、なんか書きたい。

そういうときに登場するのが「紙の日記」。みんなも紙の日記を付けて静寂を愛そう。私はメンタルを深刻にニャンしていた時期があり、その時にカウンセラーさんから勧められたのが「紙の日記」。

かつての私は生活のインターネット・ジャンキーなので生活のすべて(文字通りのすべて)を一つのインターネット(要するに、旧ツイッター)に書いていたが、書くと聴衆=反応を求めてしまう。反応を求めると自分が本当に言いたいことを変えてしまう(最初に言おうとしていたことから歪んでしまう)。このせいで、生活のすべてが歪んでしまっていた。

まず、生活を書く先を分散させた。生活のすべてが10としたら、旧ツイッターに4、マストドンに4、紙の日記に2くらいの割合。インターネット・ジャンキーでも10から8くらいまでなら減らせる。旧ツイッターとマストドンではアトモスフィアが違って、おかげで反応の質も違うから、反応への渇望が減った。

それで、クリティカルな思いは紙の日記にだけ書くことにした。

日記の書き方にも細かいテクニックがいくつかある。定期的に(毎日は難しくても数日おきに)書ける程度の文章量にセーブする――書きすぎるとそれが自分の中での義務になるから、衝動的で強い言葉を使わずに当たり障りのない言葉を使う――自分の中に衝動が残るから、事実とその時の感情は記録するけれど判断はいったん留保する――その判断が衝動を生むから。等々。

それから、日記にその日の午前・午後の体調・精神の状態を10段階評価で残すようにしている(正確には100段階で5刻みだが)。日記の内容はスキップしても体調・精神の評価だけはウォッチして残すようにしている。日記の内容そのものよりもこちらの方が大切だと思う。

体調・精神の状態の評価

その体調・精神の状態の評価に応じてインターネットとの距離を変えるようにした。例えば、5から3に悪化したときには「インターネットから離れてさっさと寝よ」とか「徐々に悪くなりつつあるから明日はもっと活性を落とそう」とか。あるいは、例えば3から1まで悪化したら「誰ともコンタクトせずにじっと回復を待とう」とか。逆に、7から10までアップしたら(良化ではない)「過活動になりつつあるからちょっと人から離れよう」とか。

そういう感じで、いまは「生活を書くこと」といい感じの距離を保てているように思う。